絵画的手法crane, hemingway, fitzgerald絵画的手法crane, hemingway, fitzgerald...

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追手門学院大学文学部紀要27号1993年5月31 B 絵画的手法Crane, Hemingway, Fitzgerald “A study of Picture'sInfluence on Writing in the Works of Stephen Crane, Ernest Hemingway and F. Scott Fitzgerald" Seiwa FUJITANI 偶然のことかもしれないが, Stephen CraneとErnest Hemingway, F. Scott Fitzgerald の三人の作家に一つの共通する場面が登場している。母親から自立しようとする息子と,それ が理解できずに息子に神の加護を願うだけの母との間の,母子の葛藤を描く場面である。 Craneの場合にはGeorge's Motherで母親から自立しようとしている息子にあれこれと世話を 焼き,自立のための反抗が分がらずに神の力で息子を母親の言うことを良く聞くまっとうな人 間にしたいと教会に誘うが断られて落胆する場面, Hemingwayの場合にぱSoldier's Home"で第一次世界大戦から帰還したものの仕事にもっかず無為に毎日を過ごす息子に業を 煮やし,自分の宗教観をおしつけて息干にまっとうな人間になって欲しいと願う母親が息子か ら疏じられて泣き出し,自分と共に神に祈ることを息子に願うが拒否されると,息子の代わり に神に祈る場面, Fitzgeraldの場合にぱThe Captured Shadow"で自立していく息子に世 話をしても疏んじられ,劇の演出を見事に成功させて自立の一歩を踏み出した息子が帰宅して ソファーの上に疲れ果てて眠ってしまうと,自分の手が届かなくなった息子への加護を神に願 う母親が見られる場面である。George's MotherどThe Captured Shadow"では母子家庭, “Soldier's Home"では父親よりも母親の存在感の強い家庭という設定になっている。 いずれ も母親と息子の葛藤を扱い,息子に疏んじられた母親は神の加護を願い,神を信じられない息 子との距離がますます遠くなるのである。 かつてCraneは小説を「輪郭がくっきりと描かれているいくつもの絵であって,それらの 絵が読者の前をひとつのパノラマのように通過して,それらの一つ一つが明確な印象を残して 1) いくもの」と定義しており,実際に小説のなかの,一つ一つの場面が絵のように読者の印象に 161-

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  • 追手門学院大学文学部紀要27号1993年5月31 B

    絵画的手法Crane, Hemingway, Fitzgerald

    藤  谷  聖  和

    “A study of Picture'sInfluence on Writing in the Works of

    Stephen Crane, Ernest Hemingway and F. Scott Fitzgerald"

                  Seiwa FUJITANI

     偶然のことかもしれないが, Stephen CraneとErnest Hemingway, F. Scott Fitzgerald

    の三人の作家に一つの共通する場面が登場している。母親から自立しようとする息子と,それ

    が理解できずに息子に神の加護を願うだけの母との間の,母子の葛藤を描く場面である。

    Craneの場合にはGeorge's Motherで母親から自立しようとしている息子にあれこれと世話を

    焼き,自立のための反抗が分がらずに神の力で息子を母親の言うことを良く聞くまっとうな人

    間にしたいと教会に誘うが断られて落胆する場面, Hemingwayの場合にぱSoldier's

    Home"で第一次世界大戦から帰還したものの仕事にもっかず無為に毎日を過ごす息子に業を

    煮やし,自分の宗教観をおしつけて息干にまっとうな人間になって欲しいと願う母親が息子か

    ら疏じられて泣き出し,自分と共に神に祈ることを息子に願うが拒否されると,息子の代わり

    に神に祈る場面, Fitzgeraldの場合にぱThe Captured Shadow"で自立していく息子に世

    話をしても疏んじられ,劇の演出を見事に成功させて自立の一歩を踏み出した息子が帰宅して

    ソファーの上に疲れ果てて眠ってしまうと,自分の手が届かなくなった息子への加護を神に願

    う母親が見られる場面である。George's MotherどThe Captured Shadow"では母子家庭,

    “Soldier's Home"では父親よりも母親の存在感の強い家庭という設定になっている。 いずれ

    も母親と息子の葛藤を扱い,息子に疏んじられた母親は神の加護を願い,神を信じられない息

    子との距離がますます遠くなるのである。

     かつてCraneは小説を「輪郭がくっきりと描かれているいくつもの絵であって,それらの

    絵が読者の前をひとつのパノラマのように通過して,それらの一つ一つが明確な印象を残して

        1)いくもの」と定義しており,実際に小説のなかの,一つ一つの場面が絵のように読者の印象に

    161-

  •             絵画的手法Crane, Hemingway, Fitzgerald

    残ることを作品において実践している。 Craneと絵画の印象主義の関係を, J. D. Barryが

    George's Motherに対する書評で捉えて「母と息子が一緒に礼拝に行くところの描写は文学に

    おける印象主義のユニークな例であって,クロード・モネの絵と同じ暗い素晴らしい〈中略〉

                      2)まさに文学的印象主義の巨匠の作品だ」と絶賛している。 George's MotherではGeorgeは最

    初は教会へ行くのを断り,二度目は酔っぱらって帰宅しなかったやましさかおるときに突然に

    教会へ誘われて仕方なく母親についていくのだが, Barryはこの場面に印象主義を捉えている。

    HemingwayがGeorge's Motherを読んだという証拠はないが,Green Hills ofÅfricaのなか

    で新しいアメリカ文学の散文スタイルの原型を形成したとしてMark TwainやHenry James

    とともにCraneを誉めているのだからCraneの作品には触れていると言ってもよいだろう。

    絵画に文体への応用を学んだと述べているHemingwayにはCraneの印象主義的手法は心を

    惹いたのではないか。George's Motherでの母親と息子の葛藤は一枚の絵となって

    Hemingwayの脳裏に残り,それが“Soldier's Home"の母子の葛藤の場面となって再現した

    と言えないだろうか。Fitzgeraldぱ'Soldier's Home"を収録するIn Our Time (こついて書評

    を書きHemingwayの文章を「一枚の絵」に喩えて(鮮明で,郷愁をかきたて,しかも緊張

        4)                                         5)感に富む」ことを指摘して,「その絵が完成するや,光はふっと消えて,物語は終わる」と踊

    Our Timeの短編のなかに印象的な絵を見ている。なかでもFitzgeraldの脳裏に残る印象的

    な絵ぱSoldier's Home"の「人生の苦しさを胸に刻みっけられたNick[sic]に母親が台所に

                                         6)きて自分のそばに脆いてピューリタンのお祈りをしておくれと頼む場面である」と述べて,母

    子の葛藤の場面に衝撃を受けている。 そして,この場面の絵は異なった状況ではあるが“The

    Captured Shadow"で再現されることになる。Craneの「一枚の絵」はHemingway,

    Fitzgeraldへと受け継がれていて,三者に絵画にヒントを得た手法が捉えられるのである。

    CraneとHemingway, Fitzgeraldに絵画的手法をみていきHemingwayとFitzgeraldに

    は相互の影響を捉えてみたい。

    II

     処女作Maggie: A Girl of the Streets(1893,以後Maggieと略す)創作の目的について

    Craneは(Maggieを書くにあたって,ぼくは自分に見えるがままに人物を描くこと以外に,

                    7)いかなる目的も持っていなかった」と述べて,読者に見せることを意図している。 Craneと

    1897年より親交のあったJoseph ConradがThe N毎ser of the 'Narcissus'(1898)の序文で

    (私か成し遂げようとしている仕事は,書いた言葉の力によって,読者に聞かせ,感じさせる

                     8)こと,一一特に見させることである」と述べており二人の共通項を捉えることができる。「見

    えるがままに人物を描くこと」と「読者に見させる」ための工夫としては対象の単純化が見ら

                         ―162-

  •                   藤  谷  聖  和

    れ, 1:断片的イメージの並列,2:対象を色彩の塊で捉えることが挙げられる。

     対象の単純化を述べる前にまずConradがCraneの作品についてEdward Garnettに送っ

    た手紙を見てみたい。

       Why is he not immensely popular ? With his strength, with his rapidity

    of action, with that amazing faculty of vision-why is he not ? He has outline,

    he has colour, he has movement. with that he ought to go very far. But-will

    he ? I sometimes think he won't. It is not an opinion-it is a feeling. I could

    not explain why he disappointed me-why my enthusiasm withers as soon as

    I close the book. While one reads, of course he is not to be questioned. He is

    the master of his reader to the very last line-then apparently for no reason at

    all-he seems t0let go his hold. It is as if he had gripped you with greased

    fingers. His grip is strong but while you feel the pressure on your flesh you

    slip out from his hand-much to your own surprise. This is my stupid

                              9)impression and l give it to you in confidence.

    ConradはCraneの作品を読んでいるときには熱中させられてしまうのに,ところが作品を読

    み終えるとその感動が残らないという印象を拭い去ることができないと言っているのである。

    この答えになるのがCraneの手法である断片的イメージの並列と対象を色彩の塊で捉えるこ

    とにある。ConradはCraneの力強い文章や,素早い筋運び,素晴らしい視覚を認めてはいる

    のだが,読み終わったあとに興奮が残らないことを不思議に思っているのである。実は,その

    長所ゆえに興奮が残らないのだ。 Craneの手法にその原因があるのである。 Craneの代表作

    であるMaggieやThe Red Badge of Courage (1895),"The Open Boat" (1897)の様々な場

    面は脳裏に残るのだが思想性において印象に残りにくいのである。Maggieでは「環境の恐ろ

    しさ」が,The Red Badge of Courageでは戦闘の恐ろしさがHenryの目を通して伝わって

    くるし, "The Open Boat"でも荒れ狂う海という自然と人間との戦いが確かに鮮烈に読者を

    印象づけるのであるが,それぞれの場面の印象と比較して,作品の思想性は読者の脳裏に残る

    ものが少ないのではないだろうか。

     印象的な描写が作品にちりばめられていることに注目して, Robert w. StallmanはCrane

    の作品に「点描主義」を捉えている。

    Crane's style is prose pointillism. It is composed of disconnected images,

    which coalesce like the blobs of colour in French impressionist paintings,

    -163-

  •             絵画的手法べrane,Hemingway, Fitzgerald

    every word-group having a cross-reference relationship, every seemingly

                                               10)disconnected detail having interrelationship to the configurated whole.

    StallmanはCraneの作品におけるなんの関連性もないイメージが実は相関的構造をもった全

    体と関連性をもっており,「フランス印象派の絵における色彩のコンマ状粒子」のようである

    と指摘して,「散文の点描主義」だと述べているのである。 この手法を,例えばMaggieの場

    合で押谷氏は「いくっかの断片的場面を組み合わせて一つの場面を構成する映画のモッター

                                          川ジュの技法,ないしは印象派画家モネのあの連作の技法をにとば』で試みた場面」と捉えら

    れている。押谷氏はMaggieがわずか82頁の中編なのに19もの章に分けられて, 1章が平均

                                 12)4頁強であることに注目し,「章というよりはむしろセクション」であると指摘して「作品全

    体よりは各章が,各章よりは各パラグラフが,そして各パラグラフよりは各センテンスが重視

    される。したがって読者の心に残るのは,一貫した一つの思想や主題といったものではなく。

                                             13)断片的なイメージや各部分の雰囲気とか気分,あるいは瞬間的な印象といったものである」と

    Maggieの断片性を捉えられている。これらの断片が組み合わされて一つの場面を構成する

    「モンタージュの技法」となったり「点描主義」となっており, Maggieを構成しているのは

    Craneが言っているように「いくっもの絵」であって,確かにConradが感じたように作品に

    読者を引きずり込む力がある。が,読後感が薄いのはMaggieの存在感が薄いこと,言い換

    えればCraneの主張が強くないことにあるのではないか。Craneの主張した(環境の力は恐

       !≪ろしい」ことは伝わってくるが, Maggieが街の女にならねばならぬ理由や自殺する理由には

    成り得ない。 Maggieがあまりにも受け身すぎて環境が人間の意志や心に与える影響が伝わり

    にくいのである。 Maggieが8章から14章までで言葉を発するのは2回だけであり,彼女に

    ついては「泥沼に咲いた花」とだけ説明があるだけで,彼女の感情や表情,服装については克

    明な描写もなく,最後には名前では呼ばれず「彼女」,「女」と一人の人物というよりも一つの

    タイプになってしまっており主人公はMaggieというよりもBoweryのスラム街となってい

    ることにも思想性の希薄さの原因があるのであろう。

     Craneが色彩語を使って,その場の雰囲気を伝えることもすでに指摘されているが, 3作

    品を通じて見てみると,作品ごとにより洗練されていることが分かる。押谷氏の調査では色彩

    語の1:頁あたりの使用頻度が作品ごとに多くなっていることが明らかで, Maggieでは

    Wilson Follett編のテクスト(82頁)で延べ88回の色彩語が使用されて単純計算では1頁に

    つき1回強の使用頻度だが, The Red Badge of Courageでは同じくFollett編のテクスト

    (180頁)で,延べ287回の色彩語を使用し, 1:既につき約1.6回の使用頻度となり,“The

    Open Boat"では同テクスト(33頁)で65回の色彩語を使用し, 1〕芝につき約2回の使用頻度

    となり色彩語の使用頻度が増加している。

                        -164-

  •                   藤 谷 聖 和

     Craneに色彩語の効果を教えたのはGoetheの『色彩論』(Farbenleh前であるとの見地か

    ら,「グレインとゲーテー忘れられた関係」("Crane and Goethe :A Forgotten Relationship")と

                         16)いう論文をR. L. Houghが発表している。 Craneが『色彩論』の英訳本であるGoethe's

    Theory of Colors (1840)を読んでいたことはCraneとSyracuse大学時代に級友であった

    Frank W. Noxonがグレイン協会の会長であったMax J. Herzbergに書いた手紙(1926年12

                  17)月7日)で明らかにされている。 Houghが『色彩論』の影響を強調するのは「ある特定の状

    況とか物理的背景に対する瞬間的洞察」を色彩の使用で読者に与えることができるからで。

                                         18)Craneは色彩についてのGoetheの評価に強く興味をもったと指摘している。

     Goetheは『色彩論』において(個々の色彩は人間の心にも同様の影響をもたらす。経験上

                                   19)我々は,特定の色彩が特定の感情を刺激することを知っている」と述べており, Craneはこ

    の原理をMaggieで使い始めている。色彩の持つ特定の感情を,場面や人物の性格描写に巧み

    に取り入れているのである。 Goetheは「強力な印象は,黄色,黄赤色(檀),および赤色(プ

    ラスの側の赤色)によって作り出される。〈中略〉温和な効果は,青色,スミレ色,および赤色

                              20)にの場合はマイナスの側の赤色)によって生み出される」と述べているが,強力な印象としての

    赤色(プラス側)をCraneは読者の共感覚を得るべく使っている。Maggieの場合では読者の

    脳裏に残る絵としてだけではなく,赤色と黄色のもたらす強力な印象を場面や人物の性格づけ

    のためにも使用している。

     赤色は暴力や怒りという激しさを描くためには最適の色彩で, Maggieでは強力な印象を与・

    えるべく使われている例を見ることができる。2章でのJohnson夫婦の夫婦喧嘩での妻の

    Maryの描写では怒りの感情が強調されている。

       TheWoman screamed, and shook her fistsbefore her husband's eyes. The

    rough yellow of her face and neck flared suddenly crimson. She began to

                 21)howl,(italicsmine, 13)

    11章でのJimmyとPeteの喧嘩でも怒りの感情が赤色で描写されている。

      The arms of the combatants whirled in the air like flails.The faces of the

    men, at firstflushed to flame-colored anger, now began to face to the pallor of

    warriors in the blood and heat ofa battle.(italicsmine, 48)

      The rage of fear shone in all their eyes and their blood-colored fists

    whirled,(italicsmine, 48)

    -165-

  •             絵画的手法一一―Crane,Hemingway, Fitzgerald

    暴力の暗示を与えて読者の共感覚を求めるために赤色が使われている例としては,スラム街で

    育っていくJimmyの描写かおる。

       Theinexperienced fibres of the boy's eyes were hardened at an early age.

    He became a young man of leather. He lived some red years without laboring.

    During that time his sneer became chronic.(italicsmine, 20)

    読者には絵として残る描写ではないがJimmyがいかに暴力に満ちた生活を送ってきたかが

    “red"という形容詞で強烈に印象づけられるのである。

     The Red Badge of Courageに於ても共感覚を求める手法が使われているが,特筆すべきこ

    とは,Craneが対象を色彩の塊で捉えることを試みていることである。 この手法は対象をよ

    り単純化しているために読者に強い衝撃を与え,一枚の絵となって読者の脳裏に残るのである。

    ストーリーは南北戦争を扱い,北軍に従軍する青年Henryの精神的成長を描いている。

    CraneはHenryの視点から描いているが, Henryの目に映るままに描こうとしているため,

    Henryの恐怖感や喜びがHenryの目というレンズを通して描かれることになる。 青色の軍服

    を着る北軍に従軍したHenryは,かつてはギリシアの英雄を夢見て志願して入隊したのだが,

    戦争機械の一歯車にすぎないことを自覚するようになる。 Henryの目に映る北軍ぱthe blue

    ranks of the regiment"や“the blue of the line",“the blue regiment",“a blue wave" と色

    彩の塊で捉えられ, Henryは青色を構成するほんの一部にすぎない。 軍隊という集団の細部

    が描かれないで,ただ青色の塊だけで捉えられているために,軍隊は個人の感情を許さない集

    団,巨大な殺戮機械というイメージを与える。

     叙述的な色彩で描く以外に,感情的な色彩で光景を描くこともある。すでにMaggieに於て

    赤色の「怒り」や「暴力」を捉えたが, The Red Badge of Courageにもそれを捉えることが

    できる。初めて戦場を見たHenryには自然の中で行われる戦闘が次の様に映るのである。

       The youth tried to observe everything. He did not use care to avoid trees

    and branches, and his forgotten feet were constantly knocking against stones

    or getting entangled in briers. He was aware that these battalions with their

    commotions were woven red and startling into the gentle fabric of softened

                                              22)greens and browns. It looked to be a wrong place for a battle-field.

    自然は「柔らかな緑色と茶色の落ち着いた布生地」のように見えるが,「戦場にふさわしくな

    い場所のように思われる」赤色で象徴される戦闘が繰り広げられており,戦争の暴力性が自然

                       -166-

  •                   藤 谷 聖 和

    との対比でより強調されている。

     絵画にヒントを得た手法は詩集The Black Riders(1895)を経ることにより, Craneの目指

    した「余分なすべてを剥ぎとって素材の本質だけを残すこと」により近づくことになる。対象

    を絞り込む詩作の手法を応用してより簡潔な文体を完成している。

     BarryはCraneにおける文学的印象主義の原点を美術学生との交友にあるとして,「それら

    画家たちはフランスから印象主義の影響を持ち帰ったが,それを, Craneは文学形式として

             23)とりいれたのである」と指摘している。これがCraneの主張する読者の脳裏に残る「絵」な

    のだが, Craneと印象派の絵画との出会いは美術学生との交友のほかに, Hamlin Garland と

    の交友をも経由している。 CraneとGarlandとの交友は1891年より始まる。 3年後の1894

    年にGarlandは評論集Crumbling Idolsを出版し,同書でぱImpressionism"という章を設

    けて印象派の絵画について述べているのだが,ここでのGarlandの指摘にCraneの文学手法

    に通じるものがあるので, Garlandを通じてのCraneへの印象派の絵画の影響を確固とした

    ものとして捉えることができる。 Garlandは(印象派は景色を描くのではなく,景色の個人

          24)的印象を描く」と捉えており, Craneの主張する「見えるがままに描く」と通じるのである。

    Garlandが(印象派がアンデス山脈の中心部を描くとしたら,土木技師が見るようにではな

                              25)く,自分流に見て自分が最も好きなように描くであろう」と述べていることを, Craneは作

    品において対象を絞り込み,細部を大幅に切り込むことで成し遂げている。印象派の絵を

    Garlandは「視覚の瞬間的概念」と指摘して,印象派の絵は眼に対する瞬間的な印象を重要

                                             26)視していると捉えており,「眼が原初的印象として捉えるのは輪郭というより塊である」と述

    べて,印象派が対象を輪郭でよりも色彩の塊で捉えていることに注目しているが, Craneは

    色彩語の使用で文学的印象主義を試みたのである。

    Ill

     1932年に書かれたDeath in the AfternoonのなかでHemingwayは牛に突かれて傷ついた

    闘牛上を描〈に際しての感情を披露している。「ぼ〈自身にとっては〈中略〉いかに書くかが

    問題であり〈中略〉もう少しのところで思い出せないことが何であるのか,自分が本当に見た

    ものは何だったのかを思い出そうとした。そしてその周辺のことをすべて思い出してから,つ

    いにそれが分かった。闘牛士が蒼白の顔面を泥に汚し,ズボンの絹地を腰から膝まで破られて

    立ち上がったとき,ぼくが見たものは破れたズボンの汚さ,裂けた下着の汚さ,それにきれい

                                            27)な,我慢できないほどきれいな腿の骨の自さだった。そして,大事なのはこれだった」と言っ

    ている。「きれいな,我慢できないほどきれいな腿の骨の白さ」という表現ほど読者の脳裏に

    焼きつけられる強い印象はないであろう。闘牛上の傷を描写するうえで,この表現がこれほど

                        -167-

  •             絵画的手法一一一Crane,Hemingway, Fitzgerald

    インパクトを与えるのは「骨の白さ」が絵となって読者の共感を呼び起こすからであろう。

     HemingwayがFitzgeraldに絵画的手法で影響を与えたのは否めない事実であるが,一方

    Hemingwayはこの手法をGertrude Steinから学んでいる。 Hemingwayは1922年の3月

    にSherwood Andersonの紹介状を持ってSteinを訪ねている。 それ以来Steinとの交友が

    続き,後の1960年にA Moveable Fmst 1こおいてHemingwayは当時を回想しているが,そ

    のなかに絵画的手法の影響のヒントを与えてくれるくだりがある。「私は絵を見たり,彼女と

    話したりした。絵は心をおどらせたし,話もとても楽しかった。〈中略〉彼女はまた,リズム

    に関する多くの真理や,確実で価値のある繰り返し言葉の使用法を発見し,それらについてう

          28)まく説明した」と述べている。

     Steinが創作において絵画からの影響を受けていたことについては, Three Livesの執筆時

    にセザンヌの「セザンヌ夫人」の肖像画を眺めながら書き進めたという有名なエピソードかお

    る。 Steinが女友達Aliceの名を借りて書いた仮装自伝『アリス・B・トクラスの自伝』にお

    いても「彼女(Stein)は少し前に文学修行としてフロベールの『三つの物語』を翻訳し始めた

    ばかりで,このセゼンヌを得てそれを眺め,その刺激のもとに『三つの人生』を書いたのでし

    29)た」と述べているように, Steinはセザンヌの芸術的感覚や技法を吸収すべく肖像画を見てい

    て,絵画の技法を文章に移植しようと試みていたようである。セザンヌの絵の本質については

    西尾氏が「セザンヌ,スタインとヘミングウェイ」という論文で,セザンヌが自分の絵を

    「『対等の等価物と色彩』からなる『自然に即した構成物』である」と言っており,「この『対

    等の等価物』を手に入れるため,対象を最も単純なフォルムに還元し,細部を大幅に省略し

    30)た」と指摘している,Death in the AμKmoonの負傷した闘牛士の「きれいな,我慢できない

    ほどきれいな腿の骨の白さ」は実に「細部を大幅に省略し」だもので「対象を最も単純なフォ

    ルムに還元」したものと言えよう。

     A Moveable Feast {こおいて, HemingwayはSteinに影響されたことは明確にしないで自

    らセザンヌの絵を見に行ったように書いている個所かおるが,これもSteinを通じてのセザン

    ヌの技法の影響を裏打ちしてくれる。パリのリュクサンブール美術館へ通った目的を

    Hemingwayは次のように語っている。「私はそこへほとんど毎日通った。 セザンヌを見るた

    めと,シカゴの美術研究所で初めて知ったマネやモネやその他の印象派の絵を見るためであっ

    た。自分のストーリーにある広がりをもたせようと試みる際,そのためには全く不足と思われ

    るくらい簡単で真実の文章を筆にするようにさせるある物を,私はセザンヌの絵から学びとっ

    ていた。彼からはとても多くのことを学んでいたが,私ははっきり口にだして,だれにもその

              31)ことを説明しなかった」とセザンヌの影響の強さを肯定している。

     Hemingwayがセザンヌの手法を作品の中にどのように吸収しているかをみてみたい。加

    Our Timeのなかの作品である“Big Two-Hearted River"についてHemingwayは,「ぼく

                        -168-

  •                  藤 谷 聖 和

    がやろうとしたのは,ある風景を描いて,読み終わったあと言葉を忘れてもそこに風景そのも

    のかおるというようなものを書くことだった。これは難しいことだ。ただ風景にロマンティッ

    クな思い入れをするだけではだめで,書いているあいだじゅう完璧にその風景が見えていなけ

             32)ればいけないからだ」と述べており, Fitzgeraldが書評で述べた「一枚の絵」が読者の印象

    に残ることを意図している。 “Big Two-Hearted River"は主人公Nickが,鱒釣りに行くス

    トーリーで,列車から降りたNickが重い荷を背負って川に近いところにまでやって来て,テ

    ントをはってキャンプをし,翌朝,鱒釣りをするだけの,なにも起こらないストーリーである。

    HemingwayはNickの内面を描かずに, Nickの行動を具体的に描いているだけである。

       Nickslipped off his pack and lay down in the shade. He lay on his back

    and looked up into the pine trees. His neck and back and the small of his

    back rested as he stretched. The earth feltgood against his back. He looked

    up at the sky, through the branches, and then shut his eyes. He opened them

    and looked up again. There was a wind high up in the branches. He shut his

                      33)eyes again and went to sleep.

    Nickの行動が描写されているだけであるが, Nickの心の安らぎが伝わってくるのである。松

    葉が敷き詰められた大地に身を横たえて,風に吹かれる松の枝を見ているNickが描写されて

    いるだけだが,読者に共感をかきたてるのである。後にj Moveable Feast \こ於て「これ

    (・'BigTwo-Hearted River")は戦争からの帰還の話であるが,この中で戦争については一言も

          31)触れなかった」とHemingwayは述べているが,我々読者には行間からNickが何故川に鱒釣

    りにやって来たのか,過去に何かあったのかが伝わってぐるのである。

     もちろん反論もある。プリンストン大学の文学部長であったChristianGauusは1925年夏

    にパリに滞在したおりに,彼とHemingway, Fitzgeraldの三者で“Big Two-Hearted

    River"について討論したときFitzgeraldとGauusはこの作品を「人間的興味に欠けている

                          陶ばかりか,何も起こらないような物語を書いた」と捉えてHemingwayを責めている。 これ

    に対してHemingwayは「我々(二人)がごく平凡な読み方しかせず,彼(Hemingway)が何

    を書こうとしたのか考えようともしない」と反論している。Fitzgeraldは後の1926年に佃

    Our Timeの書評を書きHemingwayの文章に「一枚の絵」を捉えているのだから,

    Hemingwayに論破され,この手法に魅了されたことは否めない。

     Hemingwayがねらっていたのは氷山の理論のように一部を描くことで全体を描くことで

    あった。これはセザンヌの絵の手法と比較して「対象をもっとも単純なフォルムに還元し,細

    部を大幅に省略」する点て共通するところがある。 “Big Two-Hearted River"を書いた際に

                        -169-

  •              絵画的手法一一Crane,Hemingway, Fitzgerald

    もHemingwayはSteinへの手紙でセザンヌを意識したことを「僕はセザンヌのような田舎

    を書いてみようとしました。すごく時間がかかり少しずつ書きました。 100頁ぐらいの長さで

    事件は何も起こりません。田舎がすばらしいのです。全部作り物です。だから全部見えるし。

                   37)一部はあるべき姿で出てきます」と述べている。さらにNick Adam's Storiesを出版したとき

    にも“On Writing" という章でセザンヌの描くような風景を意識していたことを「彼,つまり

    ニックはセザンヌが描くような風景を書いてみたかった。自分の中から描かなければいけない。

    別に小手先の技術じゃない。誰もあんなふうに風景を描いた奴はいない。彼はほとんど崇高な

    気分に浸された。これは最高に真剣な技だ。最後まで戦いぬけば,ああ描けるんだ。眼で正し

         38)く生きれば」と述べ絵画の手法を文章のなかに移植しようとしていたことを明らかにしている。

     Hemingwayは風景という固定したイメージだけでなく,次々と変化していくイメージを

    も読者の脳裏に焼きつける工夫をしている。 同じぐBig Two-Hearted River"の中でNick

    が川を見下ろす場面の描写をみてみたい。

      As the shadow of the kingfisher moved up the stream, a big trout shot up

    stream in a long angle, only his shadow marking the angle, then lost his

    shadow as he came through the surface of the water, caught the sun, and then,

    as he went back into the stream under the surface, his shadow seemed to float

    down the stream with the current, unresisting, to his post under the bridge

    where he tightened facing up into the current.(134)

    ここでHemingwayは鱒の動きを描いているのであるが,個々の動きが切れることなく一連

    の動きとして描かれている。しかし我々読者には個々のイメージが強く残るのである。上流を

    向いて静止しているようにみえる鱒,一瞬水面を横切るカワセミの影,大きな角度を描いて獲

    物に思えたカワセミの幻影に突進する鱒,水面まで出てきた鱒,一瞬太陽の光を浴びたかと思

    うと水中に返っていく鱒,流れに漂っていく鱒の影,橋の下の自分の場所にくると再度流れに

    向かおうとする鱒,これらのイメージは早いスピードで描かれているにもかかわらず読者に強

    いインパクトを与えている。 Harry LevinがHemingwayの従属節や複文の使用をせずに,

    イメージを並列している効果を「一連のイメージを提示することによって,そのイメージの一

    つ一つは各々短い時間を持ち,その時間,読者の注意の集中を要求し, Hemingwayは彼特

                 39)有の生気と流動性を獲得する」と指摘しているように,イメージの羅列は読者の注意を引き,

    イメージの一つ一つが残像となって読者の脳裏に留まるのである。

     イメージの残像に役だっている繰り返しの手法をHemingwayはSteinから学んでいる。

    SteinはJohann Sebastian Bachのフーガから得たという繰り返しの効果が取り入れられた

                        -170-

  •                  藤 谷 聖 和

    抽象的でリズムを追う文体を考え出しだのだが, Hemingwayは繰り返しの手法をイメージ

    のリズムに応用したのである。 Levinが指摘するHemingwayの連辞畳用(p01ysundeton)は

    名詞のみならず節をも接続詞の“and"で続けていき,次々とイメージを読者の脳裏にたたみ

    かけてくるのに役だっている。

     Hemingwayの絵画的手法が読者に強いイメージを残すのは彼が写真のような絵を描くか

    らではない。 Hemingwayが狙っていたのはDeath in the Afternoonで「当時,ぼくはもの

    を書こうとしていて〈中略〉最大の困難事は行動の中に本当に起こったことをいかにして書き

    とめるかにあった。つまり,自分で経験している情緒の生みの親である事物が何であるかを,

    とらえることにあった」と述べているように情緒の伝達であって絵はその手段にすぎない。そ

    れ故, Hemingwayの描く絵は概括的かつ要約的である。 Hemingwayは「ただ,一つの本

    当の文章を書くこと」を目標とし,報告された事実から伝えたいと思う情緒がおのずと伝わる

    と信じていたのである。「本当の文章」だけを書くための工夫として何を考えていたのかと言

    えば,A Moveable Feastで指摘しているように「唐草模様や飾りを切り取って,投げ棄て」

    て,「最初の,本当の,純粋な,断言的な文章」で書くことで,言わば省略の文章である。(散

                                  44)文は室内装飾ではなくて建築物である。 バロック様式は終わった」と主張するHemingway

    にとっては,散文は形容詞や副詞の使用を最小限度に抑えられた,ほとんど骨組みだけの文章

    となった。このような,ほとんど骨組みだけの文章が非常に強いインパクトを持つのは不思議

    なことだが,これがいわゆる八分の一を見せることで八分の七の存在を感じ取らせるという氷

                                           46)山の理論で,「省略された部分には,読者が理解する以上のものを読者に感じとらせ」る潜在

    的な力があり,書かれなかった部分が書かれている部分を強めて,言わば「部分」で「全体」

    を示すことになるのである。これは西尾氏が指摘されている「額縁に入れて切り取ったように

    作り上げ,他の余計な部分はいっさい語らない手法」で「感受陛の豊かな読者にとっては,説

    明がないだけに却って様々に想像の翼を拡げることができ,行動の一挙手一投足が鋭い感覚的

    ないくつかの意味を持って,作品に奥行きと幅を持たせる」ことができたのである。

    HemingwayはCraneのように色彩語を多く使用しないが,読者に鮮烈な印象をもたらす絵

    を絵画の省略の技法に学んだと言えよう。印象的な部分以外を切り捨てたり,印象的な部分を

    繰り返す手法で「本当の文章」を生み出す方法を獲得したのである。

                            IV

     Fitzgeraldの文体の特色と言えばScott and ErnestでFitzgeraldとHemingwayの両者を

    比較してBruccoliが(抑揚をつけた叙情的な散文を綴る伝統的な美文家で〈中略〉どちらか

                            47)といえば昔気質で因習的な行動倫理をもつ作家」と指摘しているようにFitzgeraldの文体は

    m-

  •            絵画的手法一一一一Crane,Hemingway, Fitzgerald

    「叙情的な散文」と捉えられがちである。一方, Hemingwayは「実験的な作家として出発し

    ており,彼の文体は唐突に変化するリズム,言外の含み,客観性などの点てひとつの新しい手

    法を示すものだった」とBruccoliに指摘されている。両者は対照的でお互いに同時代で交友

    はあったが,「両者とも相手の文体に影響を及ぼすというようなことはなかった」と相互への

    影響は否定されている。

     両者の最初の出会いは1925年5月パリの酒場Dingo Barにおいてである。当時の

    FitzgeraldはすでにThis Side of Paradiseで文壇に登場して, The Beautiful and Damned

    の長編やFlappers皿.d PhilosophersやTales of the Jazz Ageの短編集を出してお肌 The

    Great Gatsbyを出版したばかりの人気作家であるのに対し, Hemingwayのほうは無名で

    あった。以後1940年のFitzgeraldの死まで15年間に及ぶ交友が生じるのである。

    Fitzgeraldはいわば先輩作家としての立場でHemingwayに接しており1926年6月にThe

    Sun Also Risesの草稿を読んで10ページにも及ぶ助言を送っている。 しかし, Hemingway

    の反応は否定的で, A Moveable FeastではThe Sun Also RisesへのFitzgeraldの助言は役

                       50)に立たたなかったという印象を述べているし, 1929年6月にA Farewell to Armsをスクリブ

    ナー社に送った後でFitzgeraldに草稿を見せて50に及ぶ助言や批評を手紙でもらっているが。

                            51)手紙に書かれたHemingwayの「クソくらえだ。EH」の書き込みがFitzgeraldの助言や批

    評を否定している。後の1951年にFitzgeraldの伝記The Far Side of Paradiseを書いた

    Arthur Mizener宛の手紙でA Farewell to Arms IこついてFitzgeraldから50に及ぶ助言が

                                      52)あったが,ストーリーに関する一例をあげて役に立だなかったと述べている。しかし,これら

    の資料を額面どうりに受け止めることはできない。例えばThe Sun Also Risesでは

    HemingwayはFitzgeraldの助言を活かしており間接的ながらも彼の影響を受けているとい

    うことができる。また,資料の裏付けはないが,作品だけを比較してHemingwayが

    Fitzgeraldの作品の影響を受けていたと捉える批評もある。例えばPhilip Youngは

    Hemingwayの“Cat in the Rain"や“Hills Like White Elephants",“A Canary for One",

    “The Sea Change"などは主題や雰囲気に関してFitzgeraldの影響を捉えており,“Out of

    Season"はFitzgeraldのThe Beautiful and Damnedのモデルがなければあのようには描け

    なかった指摘している。さらに, Hemingwayは効果をあげていないが,“Out of Season" に

    登場する男女の倦怠はFitzgeraldの作品の典型的なものであるとOscar Cargillは

    Fitzgeraldの影響を捉えている。"Out of Season"は1923年の作品で,これはHemingway

    がFitzgeraldに出合う以前の作品なので,これらの批評をそのままに受け取れば

    HemingwayがFitzgeraldの作品をすでに意識し,影響を受けていたということになる。

     それではFitzgeraldの側におけるHemingway力ヽらの影響はどうだろう。 まず資料からみ

    てみるとHemingwayと同じように影響を否定している。後の1934年にHemingwayへの

                       -172 -

  •                 藤 谷 聖 和

    手紙のなかでFitzgeraldは彼の作品を賞賛し, HemingwayがSteinから影響を受けたと思

    われるパラグラフやリズムには自分自身が影響を受けそうで読むのを止めたほどであると言っ

    ている。

       lthink it is obvious that my respect for your artisticlifeis absolutely

    unqualified, that 。‥you are the only man writing fiction in America that 1

    100k up to very much. There are pieces and paragraphs of your work that l

    read over and over-in fact,I stopped myself doing it fora year and a half

    because l was afraid that your particular rhythms were going to creep in on

                       55)mine by a process of infiltration.

    この資料ではFitzgeraldはHemingwayの文体のリズムに影響されたと捉えることも可能な

    のだが, 1936年に“Pasting It Together"の中でHemingwayを「僕にとっての芸術的良心」

    と呼びながらも「彼(Hemingway)の感染しやすい文体を模倣しなかった。何故なら彼がまだ

    何も発表しないうちに,僕の文体は,ともかくも形作られていたからだ」と述べ

    Hemingwayの影響を否定している。

     それではFitzgeraldはHemingwayから影響を受けてはいないのか言えばそうでもない。

    Fitzgeraldの文体の“Poetic Style"にHemingwayが直接的にではないにせよ影響を与えて

    いると考えたい。このように考えるのは金関氏が「ガートルード・スタインとヘミングウェ

    イ」の中で「ヘミングウェイという作家は,本質的には短篇小説家だ,と私は思う」と指摘さ

    れ,長編は「芸術的緊張が分散してしまう」のでおもしろくないと述べられているからだ。

    Hemingwayの短編が成功しているのは「短い言語スペースの中でなら,彼独特の詩的緊張

    が維持しやすいからだ。つまり彼の短篇とは,はっきりいって散文詩なのだ」と指摘されてい

    る。前述のように, HemingwayがSteinの影響を受けて,「単文ないし重文で,つぎつぎに

    畳みかけていくような文章」で「単純な音とイメージのリズムを持つ,すばらしい文章」を作

    り出し,パラグラフを重ねることによって「からみ合いながら流れて行く美しい室内楽の楽節

    のような,あるいはさまざまな情緒をかもし出す形象を重置した,抽象画に近い効果」を作り

    出して「散文詩」を形成するのである。この「音とイメージのリズム」が詩のように印象に残

    る絵を作りあげるのである。 Fitzgeraldはこの絵に,つまり絵を作り出す短編に大きな関心

    を持っており, Hemingwayの一枚の絵に影響を受けているのである。

     FitzgeraldがHemingwayの作品から絵画的手法のヒントを得だのではないかと思われる

    のはIn Our Timeの“Soldier's Home" どThe Captured Shadow" に共通する一枚の絵が見

    られるからである。 “The Captured Shadow"は主人公Basilの精神的成長,特に母親からの

                       1 7Q

  •             絵画的手法一―-Crane, Hemingway, Fitzgerald

    自立を描いた作品で,バジルが劇の演出を通じてリーダーたる人物に成長し,母親の庇護から

    自立していくストーリーである。一方の“Soldier's Home"は第一次世界大戦から帰還し,価

    値観の変化により世の中に適応できなくなったKrebs青年が母親を拒絶することで精神的成

    長をとげていくのを描いた作品である。息子に拒絶された母親が息子のために祈るという点に

    両作品の共通点かおるが,この場面の描写においてFitzgeraldにHemingwayの影響が捉え

    られるのである。 Joseph M. Floraが「Fitzgeraldは1928年に少年時代や青年時代をたねに

    した短編集を書き始めたとき, In Our Time \こおける例はもちろん, Andersonの指導も受け

    ていた。 HemingwayのFitzgeraldへの借りは大きいが,しかし, Fitzgerald自身も

    Hemingwayの作品から恩恵をこうむっている」との指摘をしているが, 1928年に

    Fitzgeraldが書いていた短編集はBasil物であり,In Our Timeからの影響と言えば

    Fitzgeraldが書評で特に“Soldier's Home"を誉めているから,“Soldier's Home"のBasil物

    への影響であることが分かる。 Fitzgeraldは1926年に「素材を浪費する方法-わが時代に関

    する覚え書き」("How to Waste Material-A Note on My Generation")と題してIn Our Time

    に対する随筆風書評をBookmanに書いている。 Hemingwayの文章を「鮮明で,郷愁をかき

    たて,しかも緊張感に富む」一枚の絵で,「その絵が完成するや,光はふっと消えて,物語は

    終わる」とFitzgeraldはIn Our Timeのそれぞれの短編のなかに印象的な絵を見ている。な

    かでもFitzgeraldの脳裏に残る印象的な絵ぱSoldier's Home"の「人生の苦しさを胸に刻み

    つけられたNick[sic]に母親が台所にきて自分のそばに脆いてピューリタンのお祈りをして

    おくれと頼む場面」と述べているが,この“Soldier's Home"の一場面が“The Captured

    Shadow"で2年後に再現するのである。 1926年のFitzgeraldはすでに文壇の人気作家であ

    り, Fitzgeraldが無名のHemingwayの影響を受けるとは考えられないとも言えようが,

    Fitzgeraldが1928年にBasil物を書いていた頃にはHemingwayはすでにThe Sun Also

    Risesを世に出しており,A Farewell to Armsにも取り組んで入る最中でHemingwayは大

    いに意識せざるを得ない作家となっていた。“The Captured Shadow"を書いていた1928年

    当時にFitzgeraldがHemingwayの技法を意識していたとしても不思議ではない。

     「見えるがままに人物を描くこと」を念頭においていたCraneと, The Nigger of the

    'Narcissus'の序文で,作品の目的を「読者に聞かせ,感じさせ,一一丿寺に見させる」と述べ

    たConradに交友があったことはすでに述べたが,実はFitzgerald自身もThe Great Gatsby

    を創作するうえで, ConradのThe NisKer of the 'Narcissus'の序文が役立ったと言っている

    のである。登場人物と同一化しやすかったFitzgeraldにとっては,このThe Great Gatsbyで

    はナレーターを設置することで主人公との距離を置き「読者に聞かせ,感じさせ,-一特に見

    させる」ことが可能になったのである。「叙情的な散文」として知られるFitzgeraldの文体が

    変化する兆しをみせるのが1928年頃でBasil物を書き始めたころである。例えば“The

                       -174-

  •                 藤 谷 聖 和

    Scandal Detectives"ではウォートン家の庭で遊んでいる子供たちが夕方になると,家族の呼

    び声に応えて夕闇の中を三々五々に家路につく場面に一枚の絵が見られるし,“A Night at

    the Fair"では博覧会の夜の熱気に触れる少年たちの興奮が伝わってくるような絵を捉えるこ

    とができるであろう。 Hollywoodでの台本作家の仕事を3度体験したFitzgeraldにとって書

    くことにますます「見せる」姿勢が強くなってくるが,情緒的な絵は少なくなってくるのであ

    る。「映画台本のこつは生き生きと描かれてエピソード的であること」とされるために台本作

    家は各部分場面を描くことを要求された。 Bruccoliが「Fitzgeraldが1939年までにはエピ

    ソードごとに考えることに慣れたことは明らかだ」と指摘するようにFitzgeraldは章より

    もエピソードで書くようになり, Pat物では視覚に訴える最小限の切り詰められた言葉で描写

    するようになる。映画の手法を学ぶ前後の作品であるThe Great GatsbyとThe Last Tycoon

    を比較したDixonはThe Last Tycoonに映画の重要な要素であるスピードを見いだしており,

    エピソードが止まることのないスピードで展開することを指摘している。本来Fitzgeraldは

    叙情的描写に優れた作家であったのだが, 1935年までに情緒を見せるよりも,むしろ述べる

    ほうに陥り,参加者でもあり観察者でもあるダブル・ヴィジョンも曖昧になってしまっていた。

    しかし短編の投稿先がPost誌からEsquire誌に変わったことから,枚数が少なくなり,構成

    が引き締まり文体もリズミカルになる。John A. HigginsぱAfternoon of an Author" を例

    にとって「文の構成,語法が簡潔化され,重文や1音節, 2音節語を多く用いている」ことや

                                        64)「言葉の平易さ,遠回しな表現,控え目な表現,一つのエピソードに絞る」ことに

    Hemingwayの影響を捉えているが,1937年から40年にかけてのHollywoodでの3度目の

    台本作家としての滞在はその手法をますます文章の視覚化の方向へ向けたのである。

    Fitzgerald特有の象徴的語句や感情を喚起する語句で描かれていた抽象的な情景描写はPat

    物やThe Last Tycoonでは姿を消して,簡潔で縮小された文で瞬間にイメージを視覚化でき

    るような描写になっている。

     叙情的描写の限界を越えさせてくれたのが, Hemingwayの簡潔な文体や氷山の理論の如

    く部分で全体を示す描写であり,述べることよりもむしろ見せることへの姿勢をFitzgerald

    に確立させてくれた台本作家の体験であったのだ。

    Notes

    1)R. W. Stallman, Stephen Crane :A Biography (New York : George Braziller,1968),p. 77.

    2), ed., Stephen Crane : A CriticalBibliography (The Iowa State University Press,

    -175-

      1972), p.123.

    3)Ernest Hemingway, Green Hills of Africa(New York : Scribners, 1965), pp. 22-23.ここで

      ぱOpen Boat" どThe Blue Hotel"が素晴らしい作品として言及されるだけだが,他の作品も読

      んだうえでの判断であろう。

  • 絵画的手法Crane, Hemingway, Fitzgerald

    4)F. Scott Fitzgerald,“How To Waste Material-A Note on My Generation": Essay and

      Review of Ernest HeminEwav's In Our Time. The Bookman,LXIII (May 1926),in F. Scott

      Fitzgerald in His Own Time・ A Miscellany (The Kent State University Press, 1971), p. 148.

    5)Ibid.

    6)Ibid.,p. 149.

    7 )R. W. Stallman and LillianGilkes, eds.,Stephen Crane : Letters(New York University Press),

      p. 133.

    8)Joseph Conrad, Preface to The Nigger of the 'Narcissus'(Oxford University Press, 1984),

      p. xlii.

    9) Letters,p. 156.

    10)Stallman, Stephen Crane : An Omnibus (Alfred A. Knopf, 1966), p. 185.

    11)押谷善一郎,『スティーヴン・グレインの印象主義的技法』(大阪:大阪教育図書, 1987), p.105.

    12)Ibid., p.103.

    13)Ibid.

    14)Letters, #17,pぶL

    15)押谷善一郎, p.88, p. 116, p. 171.

    16)Robert L. Hough, "Crane and Goethe: A Forgotten Relationship" (Nineteenth-Century

       Fiction, vo□7, 1962, '63)。

    17)Letters,#24, p.336.

    18)Hough, p. 139.

    19)Quoted in“Crane and Goethe," p. 137.

    20)Ibid, p.145.

    21)Stephen Crane, Maggie: A Girl of the Streetsin The University of Virginia Edition of The

       Works of Ste)hen Crane, Vol 1, Bowerv Tales, ed. Fredson Bowers (Charlottesville: The

       University Press of Virginia, 1969),p. 13.(以後同テクストからの引用は括弧内の数字で示す)

    22)Stephen Crane, The Red Badge of Courage in The Uiiivers佃of Virginia Edition of The

       Works of Stephen Crane,Vol.II,pp. 23 -24.

    23)Stephen Crane :A CriticalBibliography,p. 289・

    24)Hamlin Garland, Crumblins Idols, ed. Jane Johnson (Harvard University Press, 1960),

       p. 105.

    25)Ibid., p. 100.

    26)Ibid., p.99.

    27)Ernest Hemingway, Death in the Afternoon (New York : Scribners, 1960),p. 20,

    28)Hemingway, A Moveable Feast(New York : Scribners, 1964),p. 17.

    29)ガートルード・スタイン,金関寿夫訳『アリス・B・トクラスの自伝-わたしがパリで会った天

       才たち』(東京:筑摩書房, 1971), p.49.

    30)西尾巌,「セザンヌ,スタインとヘミングウェイー初期短編群の構図」,『英語青年J Vol.CXXIV.

       -N0.7(東京:研究社, 1978), p.159.

    31)A Moveable Feast,p. 13.

    32)Carlos Baker,ed., Ernest Hemingway Selected Letters 1917-1961 (New York : Scribners,

       1981), p. 123.

    33)Hemingway, "Big Two-Hearted River,"In Our Time (New York : Scribners, 1970), p. 137.

    -176-

  • 藤  谷  聖  和

       (以後同テクストからの引用は括弧内の数字で示す)

    34)A Moveable Feast, p.76.

    35)Baker, The Writer as Artist(New Jersey : Princeton University Press, 1972), p. 125.

    36)Ibid.

    37)Ernest Hemingway Selected Letters,p. 122.

    38)Hemingway, Nick Adams Stories(New York : Scribners, 1972),p. 239,

    39)Harry Levin, "Observations on the Style of Ernest Hemingway," in Hemingway: A

       Collectionof CriticalEssays,ed. Robert p. Weeks (New Jersey : Prentice Hall, 1962), p.80.

    40)Ibid.

    41)Death in the Afternoon, p.2.

    42)A Moveable Feast, p. 12.

    43)Ibid.

    44)Death in the Afternoon,p. 191.

    45)A Moveable Feast, p. 75.

    46)西尾, p.160.

    47)Matthew J.Bruccoli, Scott & Ernest(London : The Bodely Head, 1978),p. 159.

    48)Ibid.

    49)Ibid.

    50)A Moveable Feast,pp. 184-185.

    51)Scott & Ernest, p.83.

    52)Ibid. pp. 83-84.

    53)Philip Young, Ernest Hemingway (New York : Rhinehart, 1952), pp. 149-50.

    54)Oscar Cargill,IntellectualAmerica : Ideas on the March (New York : Macmillan, 1941),

       p.353.

    t)5)Andrew TurnbuU, ed., The Letters of F. Scott Fitzgerald (New York : Scribners, 1963),

       p.309.

    56)Fitzgerald, "Pasting It Together," in The Crack up (New York : New Direction, 1956),

       p.79.

    57)金関寿夫,「ガートルード・スタインとヘミングウェイJ in rユリイカJ Vol. 8 (東京:青土社,

       1989),p.120.

    58)Ibid.

    59)Ibid. p. 121.

    60)Joseph M. Flora, Hemingway's Nick Adams (Louisiana State University Press, 1982),

       pp. 8-10.

    61)Bruccoli, "The Last of the Novelists"(Southern IllinoisUniversity Press, 1977), p. 140.

    62)Ibid.

    63)Wheeler Winston Dixon, The Cinematic Vision of F. Scott Fitzgerald(Ann Arbor: UMI

       Research Press, 1986),p.86, p.90.

    64)John A. Higgins,F. Scott Fitzgerald: A Study of the Stories(St. John's University Press,

       1971),p.163.

    65)Fitzgeraldの映画手法については拙稿「The Pat Hobby Stories研究」(追大文学部紀要21号),

       「F.Scott Fitzgerald とH011ywood」(追大20周年記念論集)を参照。

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